有松


有松


 有松には、「布袋車(東町)」、「唐子車(中町)」、「神功皇后車(西町)」の3台の山車があります。
これらは、有松の氏神、有松天満社の秋季大祭(10月第1日曜日)に曳き出されます。昔の町並みを残す有松東海道を曳行される姿は、誠に勇壮で風情があります。道中の随所でからくり人形の演技が披露されます。
3台の山車は、昭和48年(1973年)名古屋市の有形民俗文化財の指定を受けていましたが、平成26年、祭り全体が名古屋市指定無形民俗文化財となりました。
有松山車会館では山車1台を毎年交代に展示をし、土、日、祝日に公開をしております。

 

【神功皇后車】
この山車は、明治6年(1873年)に有松村が名古屋の大工久七(きゅうしち)に発注して製作しました。神功皇后と武内宿禰と神官の3体のからくり人形が乗っている。人形の演技が始まると、神功皇后は立ち上がり、武内宿禰と一舞した後、鮎を釣ります。山車の曳き出しの時に神官は御幣を左右に振り、目と口を開けたり閉じたり、また、時折舌を出したりします。毎年10月第一日曜日の「有松天満社秋季大祭」に曳き出されます。

【Jingu-kogo-sha Float】 (dashi)
(Nagoya City Folk Cultural Property)
This Float was manufactured by Kyushichi, a carpenter in Nagoya by the order of Arimatsu village in 1873. Mounted on it are three mechanical dolls modeled after Empress Jingu(a legendary figure), Takenouchi-no-Sukune (a legendary hero who helped the Empress), and a Shinto priest.
During the doll performance, the Empress stands up, dances with Takenouchi-no-Sukune, and fishes for ayu(sweetfish). During the procession, the priest waves a sacred staff, repeatedly shuts and opens his eyes and mouth, and occasionally sticks out his tongue. The float is exhibited annually at the Arimatsu Shrine Autumn Festival on the first Sunday of October.

有松

有馬有松



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

【唐子車】
三体のからくり人形が全て唐子(文字書き人形、喜び人形、麾振り人形)であるところから「唐子車」と呼ばれています。天保年間(1803~44年頃)に知多内海で造られたもので、明治8年(1875年)に中町が購入しました。
唐木(黒檀や紫檀などの硬い木)づくりで、青貝を散りばめた輪掛けや珊瑚などの房などがつき、細工に工夫を凝らした造りになっています。毎年10月第一日曜日の「有松天満社秋季大祭」に曳き出されます。

【Karako-sha Float】 (dashi)
(Nagoya City Folk Cultural Property)
This float is known as Karako-sha after its three mechanical karako dolls. A karako is a child dressed in ancient Chinese clothes. One of the doll is mechanized to white calligraphy and the one can wave flags. This float was built sometime between 1830-44 in Chita Utsumi(an inland sea area located south of Aichi)and was sold to Naka-machi(this area)in 1875.
The float is made from imported tropical woods(such as ebony and rosewood), and features a wheel-rest studded with limpet shells, tassels made of coral, and other intricately designed parts. The float is exhibited at the annual Arimatsu Shrine Autumn Festival on the first Sunday of October.

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【布袋車】
奥に鎮座する大将人形が、七福神の布袋であるところから「布袋車」と呼ばれています。布袋車は玉屋町で使われていましたが、売却され有松東町が明治24年(1891年)に袋町(中区錦二丁目あたり)の道具屋から購入したものですが、いつ建造されたかは明らかではありません。この山車には、文字を書く人形を始め4体のからくり人形が乗っています。
大幕には鳳凰・亀・龍・麒麟が金糸で刺繍されています。
毎年10月第一日曜日の「有松天満社秋季大祭」に曵き出されます。

【Hotei-sha Float】 (dashi)
(Nagoya City Folk Cultural Property)
A doll of Hotei, one of the Seven Gods of Good Luck, sits on the back of this float, giving it the name Hotei-sha. In 1891, Higashi-machi(this area)bought this float from a carpenter in Fukuro-mach(current Naka-ku,Nishiki2-chome area),but its year of construction is unknown.
Besides the Hotei doll, four mechanical dolls, including one that can write, are mounted on the float. It features a large curtain on which a Chinese phoenix, turtle, dragon, and Kirin(a mythical creature)are embroidered with golden threads. The float is exhibited annually at the Arimatsu Shrine Autumn Festival on the first Sunday of October.

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有松有松


 

 

 





















有松

【有松天満社の建立】
天満社が有松に勧請された年代は詳らかでないですが、江戸時代後期の『尾張名所図会』によれば次のように記されています。
 文章嶺(ふみのみね):祇園寺の後の山をいふ。天満宮を安置す。神廟もと祇園寺境内にありしが、寛政の初め、寺僧卍瑞の開基にして、数千人より捧げし詩歌文章等をこの山頂に埋め置き、文政七年、その上に今の神廟を基立し、あらたに八ツ棟造りの高廟を構え、以前に百倍の荘厳とはなりぬ。こは当所有信のやから、莫大な資材を寄附せしとぞ。それよりして文章嶺と称す。山の中腹に滝あり。いろはの滝という。これ御手洗なり。また瑞垣の内に、冷泉為泰卿御自筆の御詠をそのまま石に彫りて建つ。今左に記して以て世に公にす。
 例祭 二月二十五日。また八月十六日。ねり物数多あり。
すなわち、初め祇園寺境内に祀られていた社を、寛政(1789~)の初めに祇園寺の4世文章卍瑞によって、数千人から捧げられた詩歌文章を寺の裏山に埋めて遷座したというのです。つまり、もともと天満社は祇園寺の鎮守でありました。その後、八ツ棟造の社殿を文政7年(1824年)に建造し、現存する建物がそれといわれているが定かではありません。

 

【祭神】
 有松天満社の祭神は、菅原道真公です。
 道真公は、文人として優れた才能の持ち主で、学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し、昌泰2年(889年)右大臣に任命され、左大臣の藤原時平と並んで国家の政務を統括されました。
 ところが、突如藤原氏の策謀により、昌泰4年(901年)大宰府へ権師として左遷され、そのわずか2年後、大宰府政庁で生涯を閉じられました。その時、亡骸を牛車に乗せて運ぼうとしたが牛が伏して動かず、これは道真公の御心であろうと、その地に埋葬されました。
 道真公の死後、都では天変地異が多発し、朝廷は道真公の祟りではないかと恐れ、道真公を無罪とし、大宰府には「天満大自在天神」、京都には「北野天満宮天神」の神号が与えられ、大宰府天満宮と北野天満宮が晴れて設立されました。

【有松天満社の施設】
 広大な鎮守の森のいただきに、菅原道真公をお祀りした本殿、控えとなる神楽殿、そして社務所が本殿境内内に建てられています。
 そして、天満宮の成り立ちのいわれから、伏せた牛の石像が数体、使い古した筆を納める大きな納筆硯があります。また、本殿境内には、袖社として神明社(天照大神)・稲荷社(宇迦
之御霊)・秋葉社(火之迦具上神)・琴平社(大物主神)・御鍬社(金山彦之神)が祀られています。 
 なお、中町にあった常夜燈・津島社・遥拝燈が、区画整理時に天満社の境内に仮移設されています。

 

【有松天満社文嶺講】
 文嶺講は昭和20年前から存在していましたが、いつ成立したかはよく分かりません。昭和21年GHQの指令で、旧天満社氏子組織が文嶺講として公的に成立しました。昭和39年、名古屋市に合併にあわせ、宗教法人となるとともに、山車まつりや山車の管理も各町内から文嶺講が一括して行うことになり、現在に引き継がれています。
 文嶺講は、有松天満社の氏子(講員という)から成り、その範囲は「有松地区」「東丘地区」「太子地区」です。各地区の区割りに従って氏子総代が選ばれ、総代によって文嶺講の行事は運営されています。総代は、現在40名強います。
 総代の任期は3年で、総代長は2年の副総代長の経験を経た上、2年間努めます。

 

【祭礼】
・元旦祭、進学祈願祭  1月元旦
・春季大祭       3月第3日曜日
・秋季大祭       10月第1日曜日

 

【献灯神事】
・初天神前夜献灯    1月24日       天満社
・初午前夜祭(稲荷)  2月 5日       祇園寺
・金毘羅春祭前夜献灯  3月 9日       祇園寺
・天満社春季大祭前夜祭 3月第3日曜日の前日  天満社
・津島祭 迎え     7月15日       天満社
・津島祭 中祭り    8月23日       天満社
・津島祭 送り     9月30日       天満社
・天満社秋季大祭前夜祭 10月第1日曜日の前日 天満社
・金毘羅秋祭      11月 9日      祇園寺
・新嘗祭        11月25日      天満社
・秋葉社 秋季大祭   12月16日      祇園寺

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有松天満社 秋の大祭

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